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マッサーージとレイキのお店「さゆら」のセラピストが気まぐれに更新する日記です。
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お別れの日
(メンテに出ていたパソコン、やっと復帰しました。)

先日の日曜日は、先月25日に天国へ旅立った友人の、故郷の町で告別式がありました。

20年以上東京で暮らした友人が、やっと熊本に帰って来ました。

猫が大好きだった友人は、遺影にも猫を抱いて写っていました。

(出版社に勤めていた友人は、マンガ家の大島弓子さんから2匹の猫を譲り受けて飼っていました)

野球をするのが大好きで、ほんとに、最後まで「少年」みたいな人だったな。

不思議な透明感があって、凛々しくて、そんな彼女が大好きでした。

友人のお父様から弔辞をお願いされ、友人代表でお別れの言葉を送らせていただきました。

すごいアガリ症だから、本番まで気が気じゃなくて、

レイキをしている友達に、弔辞を読む時間帯に、レイキを送ってもらうようお願いしました。

いざ友人の遺影に向けて、弔辞を読み始めたら、

本当に不思議なほど、心が穏やかで、あたたかい空気にふんわり包まれているようでした。

きっと、友人が送ってくれたレイキと、亡くなった友人が力を貸してくれたんだなと思います。


弔辞のあと、高校時代のバンドのメンバー3人で、

当時の曲をアレンジして、アコーディオンとピアニカとタンバリンで、亡くなった友人に向けて演奏しました。

まうじ、よろこんでくれた!?


最後は、会場のみんなに呼びかけて、用意していった歌詞カードを配って、

友人のアコーディオンの伴奏に合わせて、「早春賦」を合唱しました。

斎場には友人のたくさんの写真と、闘病の様子が克明に綴られた日記が展示されていました。

日記にはあちらこちらに「絶対治す」と書かれていました。

両親や友人への感謝の言葉もたくさんたくさんありました。

そして、去年の大晦日の日記には、ページいっぱいに一言、「生きる!!」と書かれていました。


(弔辞)

まうじ、あなたにどんなに呼びかけても、もう体に触れる事も声を聞く事もできないなんて、まだ信じられません。
ほんのひと月前に熊本に帰って来たまうじと、冗談を言い合って笑ったのに、あまりに早すぎる突然すぎるお別れです。思えばあの時、まうじは最後の力を振り絞って、わたしたちに会いに帰ってきてくれたんですね。

去年の7月に癌がわかってから、8ヶ月に及ぶ東京での闘病生活、本当に本当にご苦労様でした。
苦しかった事も、怖かったことも、たくさんたくさんあっただろうに、いつもメールの文章は前向きで、電話の声も病気だなんて信じられない程元気で、弱音を吐いたことなど一度もありませんでしたね。
そして必ず最後は、「絶対治すけん!」と言っていましたね。
まうじが病気になってから、誰もがまうじの強さと前向きさに驚きました。

まうじ、あなたとはじめて出会ったのは、第一高校の1年1組のクラスメートになった時でした。まうじはクラスでも最高のムードメーカーでした。
抜群のリーダーシップと、ユニークなアイディアと、ひとりひとりを気遣う優しさで、1年1組をとても楽しくて、あたたかいクラスにまとめていました。
文化祭の時は、まうじの脚本、監督で、先生方まで巻き込んでコメディ映画を制作しましたね。あんなことは、まうじが居なければできなかったことだったと思います。あの撮影の事は、今でも思い出して笑うことがあります。

そしてある日、わたしに、「一緒にバンドしよう!」と言ってくれました。
それからわたしたちのバンド、「少女魔術団」の8人のメンバーは、クラスも学校も超えて不思議な縁で繋がりあいました。
高校時代の短い間だったけど、あの頃の想い出は、これまでの人生で最高にキラキラしています。あの経験も、今ではまうじからのプレゼントだったような気がするのです。
まうじはこうして、誰かの人生にちょっとした魔法をかけて、楽しくするのが得意でしたね。

そしてまうじは、お誕生日を迎えた翌日、40歳という年齢を2日だけ生きて、天国へのぼって行きました。
天国にいるまうじに、「安らかに眠ってください」と言いたくはありません。
そんな退屈はきっと望んでいないはずだから。
まうじ、天国で、思いっきり、大好きな野球ができたらいいね。

何ものにも代えられない、たくさんの素晴らしい、楽しい思い出を本当にありがとう。
あなたに出会えて本当によかった。
まうじのいたずらっぽいキラキラした大きな目と、はじけるような笑い声を、ずっとずっと忘れません。
いつまでもいつまでも大好きです。





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