マッサーージとレイキのお店「さゆら」のセラピストが気まぐれに更新する日記です。
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記念日
きのう、母に「一緒に住もう。」と言いました。

これまで2回、この提案を拒否されてきた自分には、とても勇気の要ることでした。

そして、三度目の正直で、母はやっと同居を承諾してくれました。

(それでもやっぱり渋々と言った感じだったのですが(苦笑))

この一言を持ち出すのに、心の中では言葉にならない葛藤がありました。

母のとの同居を許してなかったのは、実は自分自身だったんですよね。

でも、やっと、「もういいんじゃないかな。」と、

心から思えたんでしょう。

だから、母も同居に異議を唱えなかったのでしょう。

これから老いていく母に添いながら暮らす。

その覚悟もできたから、この一言が言えたのでしょう。

なんだかきのうは、不思議な力が働いていた日でした。

まるで列車のレールが「ガチャッ」と切り替わったような、

そんな節目の日でした。

わたしが母にそんな話しを持ちかけていた頃、

不思議なことに、同じ日に、実家の相続のことで叔父と叔母が話し合っていたのでした。

きょうは、妹とこれから一緒にやっていく店のことを話しました。

ゆっくり、ゆっくり、発酵のスピードで、形にして行きます。

大きな流れが来ているなーと感じます。

キーワードは「みんなで」です。














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苦しまなくても学べる
rensyukai2.jpg

今日はレイキ練習会でした。

最近のレイキ練習会はスキル交換会みたいで面白いです。

オラクルカードやペンジュラム、姓名判断などなど・・・

前回の練習会では、最新のカラーセラピーを披露してくださった方もいました。

それぞれに勉強したスキルで、お互いに鑑定しあって楽しんでいます。

いろんな方からいろんな情報が受け取れて、すごく有意義な時間でした。

みなさんありがとうございました。


アルバイトの方もずいぶんと慣れました。

お店の仕事のように、気持ちをお客さんに集中させる精神的な?お仕事も好きだけど、

黙々と体を動かす仕事も大好きです。

両方のバランスが取れているのが自分には合っているみたいです。

とは言え、アルバイトの中にもいくつか「チャレンジだなー」と思うことがあります。

そんな事があると「何の成長のためにこれを設定したのかな?」と考えます。

この程度の壁は人生には大小、いくつもいくつもあります。

でも最近思います。(いや、ずっと前からかな?)

人は苦しみによってしか学べないのだろうか?・・・と。


今から書くことは、きっと納得がいかないと思う人がたくさんいると思います。

特に、苦しみの真っ只中にいる人には、腹立たしい内容かもしれません。

でも、もしこのことに沢山の人が共感すれば、

地球上から苦しみが少しでも減るのかもしれない・・・

ちょっと本気でそう思っています。


苦しみに直面した時、「これはわたしに必要なこと。わたしを高めてくれること。」

と考えることは、人として、とても尊いことだと思います。

けれど、学んでも学んでも、苦しみが尽きることが無いのは、

この世から、戦争や病や差別や貧困が無くならないのは、

もしかしたら・・・

「人は苦しみ無しには成長しない」という、

人類に染み付いたパターンから来るものなのではないかと思うのです。

越えるべき壁や、苦難が無くなるのが・・・

ほんとうは、わたしたちは、怖いのではないでしょうか?

人類全体という、大きな視点では何も確かなことは言えないけど、

わたし自身のことを言えば、まさしくそのとおりです。

わたしは、人生から壁や乗り越えるべきチャレンジが無くなったら、

心の焦点をどこに定めて生きていいのか、わからなくなりそうです。

だから「もういいよ。愛や楽しみから学ぶこともできるよ。」と

いつも自分に言い聞かるようにしています。

人は苦しみに中毒します。

耐えていない、努力していない自分には価値が無いように感じるからです。

もし、苦しみの真っ只中にあるならば、

一度自問してみて欲しいのです。

「苦しみを手放そうとしないのは自分自身ではないか?」と

地球上のたくさんの人がこの自問をしたら、

きっと何かが変わるのではないかと思います。

苦労や苦しみを過剰に美化したり、そこに価値を置くような社会風潮も、

本当の平和の実現を、実はさまたげているのではないかと思うのです。

神様は、「苦しまなくってもいいんだよ」と言ってくださると思うのです。


と、こんな風に思っているわたしにも、

やはり相変わらず頭の痛い状況というのは次々に起こってきます。

「自分では望んでないはずなのに何故?」と思います。

そういう時は魂の深い部分で(意識に上らない部分で)

自分の成長のためにそれを選んだのだなと、すんなりと受け入れるようにしています。

なんせ、意識に上らないんだから、コントロールのしようがありません。

でもそのつど、壁に抗わず、受け入れて、

やっぱり最後には

「もう苦しみから学ぶのはやめていいよ。」と、

根気よく自分に言い聞かせます。

なんだか魂の壮大な計画の前には、意識なんてでくの坊だけど、

少しずつでも、苦しまない人生を選び取っていきたいのです。

苦しみに中毒しない地球に、なったらいいな。

心から願わずにいられません。



















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道程(前文)
今日の山元加津子さん(かっこちゃん)のメルマガに掲載されていた、

高村光太郎のかの有名な詩、「道程」の前文が、あまりに素晴らしかったので、

備忘録として転載します。

教科書で習う「道程」の詩が、これまでと全く違ったものに感じられます。

こんなにも強い決意と祈りの言葉を、

これまで目にしたことがありません。






私は、高村光太郎さんの「道程」の詩には、その前にすごく長い「道程」という
光太郎さんの詩があって、それが好きですと言いました。光太郎さんが、つらいこと
がいっぱいあっても、それでも、前へ突き進もうと、その思いに胸をうたれます。
・・・・・・・・
「道程」 どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない 僕の前に道はない 
僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから 道の最端にい
つでも僕は立つてゐる 何といふ曲りくねり 迷ひまよつた道だらう 

自堕落に消え滅びかけたあの道 絶望に閉ぢ込められかけたあの道 幼い苦悩にもみ
つぶれたあの道 ふり返つてみると 自分の道は戦慄に値ひする 四離滅裂な 又む
ざんな此の光景を見て 誰がこれを 生命(いのち)の道と信ずるだらう それだの
に やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた そして僕は此処まで来てしまつた 
此のさんたんたる自分の道を見て 僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ あ
のやくざに見えた道の中から 生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自
然だ これこそ厳格な父の愛だ 子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つ
た たうとう自分をつかまへたのだ 恰度そのとき事態は一変した 

俄かに眼前にあるものは光を放出し 空も地面も沸く様に動き出した そのまに 自
然は微笑をのこして僕の手から 永遠の地平線へ姿をかくした そしてその気魄が宇
宙に充ちみちた 驚いてゐる僕の魂は いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした 僕は子供の使命を全身に感じた 子供の使命! 僕の肩は重
くなつた そして僕はもうたよる手が無くなつた 無意識にたよつていた手が無く
なつた ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて 自分の全身をなげうつのだ 僕
ははじめ一歩も歩けない事を経験した かなり長い間 冷たい油の汗を流しながら 
一つところにたちつくして居た 僕は心を集めて父の胸にふれた すると 僕の足は
ひとりでに動き出した 不思議に僕は或る自憑の境を得た 

僕はどう行かうとも思はない どの道をとらうとも思はない 僕の前には広漠とした
岩畳な一面の風景がひろがつてゐる その間に花が咲き水が流れてゐる 石があり絶
壁がある それがみないきいきとしてゐる 僕はただあの不思議な自憑の督促のまま
に歩いてゆく しかし四方は気味の悪い程静かだ 恐ろしい世界の果へ行つてしまふ
のかと思ふ時もある 寂しさはつんぼのように苦しいものだ 僕はその時又父にいの
る 父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてく
れる 同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ 声をあげて祝福を伝へる そしてあの
永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ 

僕の眼が開けるに従つて 四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す 生育のいい草
の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる 彼等も僕も 大きな
人類といふものの一部分だ しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない 
人間は鮭の卵だ 千万人の中で百人も残れば 人類は永久に絶えやしない 棄て腐ら
すのを見越して 自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ 腐るものは腐れ 自然に
背いたものはみな腐る 僕は今のところ彼等にかまつてゐられない もつと此の風景
に養はれ育まれて 自分を自分らしく伸ばさねばならぬ 子供は父のいつくしみに報
いたい気を燃やしてゐるのだ ああ 人類の道程は遠い

そして其の大道はない 自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ 歩
け、歩け どんなものが出て来ても乗り越して歩け この光り輝く風景の中に踏み込
んでゆけ 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、父よ 僕を一人立ちに
させた父よ 僕から目を離さないで守ることをせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ 
この遠い道程のため













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添い遂げる
久しぶりに青空のきれいな良いお天気でした。

今日は祖母の部屋で一緒に昼食を摂り、午後はのんびりマッサージをしたりして過ごしました。

祖母の部屋の窓際に祖父の写真が飾ってあります。

老衰で寝付く数年前まで世界中を旅していた祖父が、スペインを訪れた時の写真です。

sofu.jpg

写真の上に祖母が何やら書き込んでいたので、「この日付は何?」と訊くと

「お父さんとはじめて体が一緒になった日」とごく当たり前のように答えたのでした。

「大事な日だもん。忘れるもんですか。」と照れる様子もなく、

ごく普通のテンションで言う祖母に、はじめはドキっとしましたが、

やっぱりこの祖母には一生叶わないと思いました。

大正女は懐が深いなー。

日付の隣には、祖母と祖父が新婚時代を過ごした青島の住所も記されていました。

ちなみに祖父の遺書には「みえこ(祖母の名)の骨を一片、墓に入れてください」とあり、

祖父もまた、死ぬまで祖母への愛を貫いたのでした。


祖母がウトウトし出したので、持参していた木村秋則さんの本を読んでいると、

祖母が目を覚まして「その本は何?」と訊きます。

表紙の木村さんの写真を見せながら、木村さんのリンゴ作りの話をしてあげると、

「まー。エライ人が居るね。苦労したのね。」と

木村さんの写真を手でなでていました。

祖母はたまにテレパシーが使えるのじゃないか?と思うほど、

ほんのちょっとの話しで、ズバリ本質をつかんでいることがあります。

今日も木村さんという人を、一瞬で理解したようにしきりに感心していました。

この本の、木村さんが龍に遭遇する下りがとても好きで、

祖母に読んで聞かせたかったのですが、

「おもしろい話があるよ。読んであげようか?」と言うと、

「ううん。いい。」と断られました(苦笑)

それにしても、マッサージはとても便利なコミュニケーションの手段です。

マッサージがなければ、認知症のある祖母と数時間過ごすのは正直つらいものがあります。

夕べは次女がなんだかものすごく不安定になって泣き出したので、

内心「どうしよう」と焦ったのですが、とにかくゆっくりゆっくりマッサージをしました。

そうしたらずいぶん呼吸が穏やかになって落ち着きました。

コミュニケーションに困ったら、マッサージ。

これは言葉なんか越えて、心のふかーい所にちゃんと届くのです。






♪ 東日本大震災チャリティ・レイキ練習会&交流会  ♪

● 2月19日 (日曜日) 
● 時間 13時半から15時半 
 (途中から、途中までの参加もOKですよ。)
● 参加費 1000円 (参加費の一部を東日本大震災義援金に募金します)
● 震災の影響で熊本に移住していらした方は参加費200円です。お子さん連れも大歓迎。
● 2日前までにお電話でお申し込みください。 (090-7924-8093 浅川)
  メール michikosayura@gmail.com


・レイキ未体験の方、他所で伝授を受けた方も大歓迎です(^^)
・基本的に奇数月の第3金曜日と、偶数月の第3日曜日の開催とします。
・都合により、月によっては開催日が変更になる場合もありますの














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無力だけど無力じゃない
身近な人の苦しみを軽減したくてできない時、

悩み事を相談されたけど、力になれなかった時、

そんな時、人は無力感と罪悪感を感じてしまいます。

その人が楽になれない責任の一端が、自分にあるように思ってしまします。

それはやさしさかもしれないけど、なんか「そうじゃないぞ」という心の声も聞こえます。

自分自身を振り返っても、これまでずっと

この無力感と折り合いをつけようとあがいて来ました。

でもこの無力感や罪悪感は、

相手の問題を自分の問題として引き受けているところから来ているのですね。

それは端的に言って間違ったことだと思うのです。

誰かを「楽にしてあげよう」という気持ちは、

やさしさであるようで、実は傲慢さなんじゃないかと思います。

その人の問題は、その人が乗り越えるしかない。

シビアなようだけど、これが本当です。

誰も、他人の人生の宿題を、代わりにやってあげることはできない。

そういう意味では、人は誰でも「無力」なのだと思います。

ところが、これまで経験した中で、

「他者に対して無力である」ということを受け入れた時、

相手と自分との関係に化学反応のような現象がおこることがあります。

自分は何もしていない(できない)のに、

ただ、自分が「居る」(在る」ということが、

相手に気づきや励ましを与える結果になった、ということがよくあります。

不思議だけど、相手のためにシャカリキになっている時よりも、

無力さを痛感して、相手を手放した時に、

自然と「いい風に」なっていくような気がするのです。

そのめぐり合わせや起こる結果は計り知れない。

結果への意図を手放した時、最善のことは起こるようです。

難しいことはわからないけど、

誰もが、ただ「在る」だけで、他の誰かの役にたっている。

こう考えると、

誰もがみんな、そのままで、他のだれかの為に存在しているんですね。

だから、本当に「無力」な人なんて、ひとりも居ないのです。きっと。







♪ 東日本大震災チャリティ・レイキ練習会&交流会  ♪

● 2月19日 (日曜日) 
● 時間 13時半から15時半 
 (途中から、途中までの参加もOKですよ。)
● 参加費 1000円 (参加費の一部を東日本大震災義援金に募金します)
● 震災の影響で熊本に移住していらした方は参加費200円です。お子さん連れも大歓迎。
● 2日前までにお電話でお申し込みください。 (090-7924-8093 浅川)
  メール michikosayura@gmail.com


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・都合により、月によっては開催日が変更になる場合もありますの











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