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マッサーージとレイキのお店「さゆら」のセラピストが気まぐれに更新する日記です。
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孤独とつきあう
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自衛隊通りの桜並木、すでに満開でした。

今日は風も強かったので早くも桜が散り始めていて、花吹雪の中をちょっと散歩しました。

それから、美沙都ちゃんの手術のための募金が目標額に達したそうで、本当によかったです♪


きのうはものすごく久しぶりに、再評価カウンセリングのクラスに参加して来ました。

再評価カウンセリングについては説明すると長くなりますが・・・

きのうの自分のテーマは「孤独」でした。

これをテーマにセッションしようと意図していた訳でなく、

カウンセラー仲間と向き合った時に、すぐに浮上して来た感情が「孤独」でした。


セッションの中で、一番最初に孤独感を感じたのはいつか?と考えたら、

それは「もの心ついてすぐ」だったことに思い当たりました。

その時の状況や環境、人間関係に関係なく、自分の中にはどこか根源的な(?)孤独感があって、

それをまだ言葉もロクに喋らないような時分から感じていたことを思い出しました。


もしかしたら周囲の大人たちの抱える「孤独感」を感じ取っていたのかもしれない・・・

そんなことも考えましたが、それにしても、

その大人たちの孤独感に共感・共鳴する何かが、すでに幼児期の自分にあったのだなと思いました。


自分では「孤独の発作」と呼んでいますが、今でも時折この根源的でどうしようもない孤独感に呑まれることがあります。

若い頃は・・・「恋人ができたら」「結婚したら」「子どもができたら」、

この孤独感から解放される思っていました。

でもこの孤独感はそういう性質のものじゃないなー、と最近やっと分かって来ました。


一般に孤独は「悪」だという刷り込みがあるな、と思います。

孤独は、人間関係に失敗した、あるいは、人間関係を築く努力が足りなかった結果だと

そんな思い込みを、自分でもしていたことにも気づきました。

でもきのうのセッションで、これまで、いかに自分が人間関係を築くために一生懸命に努力してきたか、

そこのことも改めて「再評価」しました。

孤独を感じるのは、決して自分の努力が足りないせいでも、やり方が悪いせいでもないんですね。


「人はみんなひとりではない」というのも真実だけど、

「人はみんなひとりです」というのも同じくらい真実なんですね。

このどちらも真実として受け入れていく必要があるんでしょうね。

このどちらをも受け入れたところに「救い」はあると思うのです。









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私たちは「孤独」とともに在る
というのは事実でして、それは私もずっと思っていたことですね。しかしながら、その奥で我々はつながっているのも事実で、繋がった存在でありながら、一時的に分離している。

それは現世に肉体を持っているからからであり、その分離していると認識している現状は、必然性と共にあるんだと思います。

分離していると感じることで、私たちは個々の対象に相対的に向かい合わされる訳で、その中で対象を認め、自己を認め、それぞれを許すことを学習しているのかもしれません。

まずは、「孤独」を友達として認められた君におめでとうをいいたいっす。
浅川浩二 | URL | 2010/04/05/Mon 23:58 [編集]
Re: 私たちは「孤独」とともに在る
そうだね。

別に孤独でいいんだ、肉体存在である限り孤独であたりまえだ、と思うと楽だよね。

なんだか孤独じゃいけないような気がしてたんだ、いままで。

でもその一見分離して見えるのが幻想だってのも分かる。
・・・いや、まだ頭だけで理解しているだけだけど。

その幻想から覚めたら、絶対的な一体感だけが残るんだろうな。

michiko | URL | 2010/04/07/Wed 22:32 [編集]

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